みーちゃん

2/4.5と群馬の旅。

久々の遠藤家は、嬉しかったな。好きだと思えた。

本岡病院は、みんな臨床していていいな、と思った。

のぶが「男は結局、仕事バリバリせんとダメ」との意見にごもっとも!と思った。

でも、家庭を守ってくれる男がいるなら、女だってばりばり働けるんだがねえ。

それは夫婦の形もよるがね。

それを書きたかったが、実家の猫を。

おい、母親、猫は3日食べないとやばいよって教えたのに、なぜ放っておいた?

おい、柘植先生、なんで白血病エイズの検査しなかった?常識だろ、ワクチン未接種外猫ぐったりなら。

入院させたくなかったんだろ?感染猫嫌がってるもんな、内部見たから知ってるぞ。

34度の猫が、復活できるかな?みーちゃんならできるかな?

しおが持続感染してて、みーが発症しちゃったかな?

わかんないね、だって私は遠くでみてるだけだから。

獣医なのにね。全然ダメだね。

病院行けってもっと強く言えば良かったかね。

お前、医者だろ、なんでそんななんだ?

でもさ、仕事してて、父親帰ってきてて、猫は後回しだよね。そんな家だよね。

奈美ちゃんも実家にお任せしますって、そりゃ文句言ったところでどうしようもないけれど、

心配すらしないの?しても仕方がないってか???

言っても仕方がないか。

結局は、みーはどうなんだろね?

美味しい御飯が食べられれば平気なんだろうか、幸せなんだろうか?

弱っていく中でじっとうずくまって、復活できるのを待っているのだろうか?

そのままにしておいた方が、実は幸せなのだろうか?

あの家にみんととくるみを連れていくのが怖くなった。

私にとって、みんともくるみもみーもしーも大切なんだ。

2匹だけが大切ではない。

猫にとっての幸せはなんだろう?

犬は、ご主人と戯れているのが幸せなんだろうって思うが。

みーは、それでも幸せだったと思うよ。

でも、私は納得いかないや。

柘植にも母親にも。

それは私が知ってるからだけど。

どんな風に自分だったら診察するか、治療するか、知っているから。

でも、母親も奈美ちゃんも知らないから、これでいいんだと思ってる。

でも、それならいいんだろうな。

みーも知らないからな、今の状態がいいのか悪いのかなんて。

ひたすら耐えてるだけだもんな。

でも、生き返るような気もするんだけどな。タフだから。

でも、死んじゃっても、奴は幸せだったと思うんだ。ゴロゴロいってたしな。

母親が好きだったしな。

缶詰が好きだったしな。

外出も好きだったしな。


神様、もうちょっとだけ、長生きさせてください。

まだ連れて行かないでください。

あと1年でいいから。

できれば5年くらいでもいいから。

ちゃんと言わなきゃいけなんだと思い込んでしまった私は、かっちゃんに余計なことをいってしまった。

お父さんのこと。

余計だった。

つい、言わなきゃいけないと思ってしまった。

母親みたいに勘違いすると思ってしまった。

そんなこと言われても、不安の種が広がるだけなのにね。

アホめ。状況が違うだろ。

自分の親がそんなふうな状況だと言われてどうすりゃいいんだよ。

悲しく不安になるだけじゃないか。

パニックになると、昔からダメだ、私は。

ばか、落ち着くってことを学べ。


私の方がちゃんと臨床できるんじゃないか?と思ってしまう。

ノブの病院では、1年間は保定とか看護師さんと同じ仕事で診察はさせない、天狗になるから、と。

そう、私は天狗になってるんだ。

でも、みやづは、明らかにおかしなとこあった。

やっぱり公務員上がりの半年研修のみの開業医ではダメだと思う。

それなりにはできてるけどね。

それなりでいいのか?いつまでも昔の知識でいいのか?

天狗になってはいけないが、話し合える雰囲気があることが大切だと思う。

新米は新米なりに懸命なんだから、診察しなくても学べることはいっぱいあるんだ。

外科なんてそんなにできなくてもいいんだ。もとちゃんみて思った。

出来るかできないかの判断が大切なんだよ。

できないのに診るなよ。

柘植、お世話になったけど、外科が好きなだけなのかもしれない。

って、また天狗になってるのか、これは。

わからないよ。