変化
お隣が引っ越した。
会話や挨拶さえしたこともないけれど、
赤ちゃんがいるってことで、妙に私が意識してたんだ。
いつか話しかけようと思ってた。
でも、なんか、ママさん、話しかけにくかったんだ。
こっち見るけど、遠い眼してるっていうか、話しかけなくていいわよっていうオーラが見えてた。
妃菜よりだいぶ大きいだろうな。
だって三輪車乗れてたもん。
夏ごろ、妃菜が夜中一度も起きずに寝てた頃、ぎゃーっとよく泣いてたのを聴いて、
大変だねぇ、妃菜は寝てくれる子で良かった、なんて思ってたもんだ。
がらんとした部屋を窓からちらりと見たら、なんだかさみしくなった。
勇気出して、一度でも良いから話せば良かった。
何ヶ月ですか?ってね。
なんか、寂しいな。
昔から、変化に弱い。弱いってか苦手だ。
変わらずにそこに停滞することが良いことだとは決して思わない。
けれど、引っ越したり、卒業したり、入学したり、そういうのが多い春はとても寂しくなる。
変化というか、別れが苦手なんだ。今気付いた。
過去の自分との別れ、とかもちょっと淋しくなるもんな。
変化って別れと通じるものがあるからさ、困ったもんだ。
なかなか他人には理解してもらえないだろうな。
ま、いいけど、こういった部分は。
寂しい気持ち、嫌いだ。
正しさは人によって違う。
塚本さんが「自分の正しさを疑う」とか何とか書いていたが、
それ、わかるような気がする。同じ気持ちのような気がする。
だから、正しさなんて千差万別十人十色なわけで、
言い出したらきりがないような気がするんだよ。
私の正義があなたの正義とは限らない。
細かいだが、私にとって食べ残しをゴミ箱にザバザバ捨てるのはすごい罪だけど、
徳永家にとってはそれなりに当たり前のことで。
私にとっての罪がほかの人にとっては当たり前のことで。
そんなのザラよね。
だから、世の中が成り立つのもわかるような気がするんだけど、
だからあんまり自己主張する人って好きになれないんだよね。
ねぇ、つかさん、疑うことのほうが正常なんじゃない?
ってこれも、疑うことが私にとって正しいんだけど、塚さんにとってはおかしなことなんだろうね。
そんなこと言ってたら、人間関係、大変よね。話すのが嫌になるよね。
ん、違うか。
違って当然って思いながら接すればいいんだよね。
年末だからね、ごちゃごちゃ考えちゃうね。